晩年の重森弘淹 (c)綜合写専
1991年4月3日個展「遊園地」のオープニングパーティにて
オリンパスホール(新宿)にて photo:Mari Inagaki
●重森弘淹 Koen Shigemori
写真評論家(1926年7月27日-1992年10月13日)京都市生まれ。同志社大学文学部卒業後、1949年「いけばな芸術」の編集長となり、勅使河原宏らとともに、流派を超えた新しいいけばなの方向を模索し始めた。一方、岡本太郎や花田清輝らの結成した「夜の会」、安部公房らによる「記録芸術の会」などに参加し、総合的な芸術への視野に立った活動を始めた。1955年頃から、カメラ雑誌を中心に写真の評論活動を開始し、当時隆盛をきわめていた「リアリズム写真運動」を批判的に継承しつつ、東松照明や奈良原一高らによる新しい写真表現の登場を支持し、さらに現代写真の始まりを告げるウィリアム・クライン、ロバート・フランクらの仕事をいち早く紹介、評論するなど、日本の現代写真の動向に大きな影響を与えた。1958年「東京フォトスクール」を創立、1960年東京綜合写真専門学校と名称を変えて発展させ、自らの写真美学や批評精神を展開しつつ、写真家の育成に情熱を注いだ。批評家であると同時に教育者である重森弘淹の基本的な思想は、“表現とは、作者の批評行為であり、それなくして表現は存在しない”というものだった。この思想が東京綜合写真専門学校の理念として引き継がれ、多くの先鋭的で個性的な写
真家を輩出し続けている。
『ウィキペディア(Wikipedia)』より抜粋
日本写真批評家協会会員、東京綜合写真専門学校校長、多摩美術大学客員教授、武蔵野美術大学客員教授、日本映像学会常任理事を歴任。1992年没後、重森夫人をはじめ綜合写専関係者によって「重森弘淹顕彰会」を設立、写真評論賞(1995-2004)を主催した。
東京綜合写真専門学校
http://www.tcp.ac.jp/