剣道に興味を持ったのは、生まれた家に父が使ったという1本の竹刀があったこと。TV時代劇のチャンバラが好きだったことだろうか。小学校5年生の秋、町の剣道場に通っている女子の同級生から様子を聞いた。早速母に習いたい旨を話し、彼女等と一緒に通い始めた。週3回午後6時~8時の2時間の稽古。最初は道衣も着ないで竹刀一本。竹刀袋は母が縫ってくれた。6年生の半ばになると、先生から防具を付けても良いとの許し。道場の防具は新しく揃えたもので、大人用のサイズだった。運動着の上から防具を付けて稽古をする。寒稽古にも休まず通った甲斐があってか、先生方から筋が良いと褒められるようになった。中学に入ると従姉妹にバスケットボールの国体選手がいた影響もあって、憧れでバスケットボールに入部。昼は球技、夜は剣道という日々が中学3年の初めまで続いた。当時町に1つだった剣道場には昇級審査の制度がなく、剣道を始めて3年経った中学2年の秋、昇段審査となった。初段を取得後、母に褒美として剣道衣を買ってもらい記念写真。その頃には、道場の先生から中学の部活でも剣道をしたらどうかと勧められたり、高校に教えに行く先生とご一緒させてもらったりして可愛がっていただいた。ところが、一緒に道場に通う友達の誘いで、私は中1から町のバプテスト教会(キリスト教プロテスタント系)に通い始めていた。牧師一家は、WASPの典型的なアメリカ人家族4名。高校生の長身の姉妹が、剣道に興味をもって防具まで買い揃えて道場に通い始めたが、“神前(神棚)に礼”をしない。この“偶像崇拝”の拒否が先生のヒンシュクを買い、姉妹は破門。洗礼を受けるには至らなかった私の日曜学校。高校受験も重なって、私は道場と教会から遠ざかった。成人になった頃、先生にご挨拶をしたくなって伺ったが、先生は他界されていた。剣道にはカルチャーショックと残念な思い出がある。